働き方

まったり高給、ホワイト大手企業で働く私がブロガーになったわけ

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私の勤める会社はいわゆる大企業で、残業はほとんどないし、給料も決して少なくありません。

福利厚生も整っていて、セクハラ、パワハラもなく定年まで働く人が大多数の超ホワイト企業。

そんな私がパラレルキャリアとしてブログを始めるまでのことを書こうと思います。

私の生まれた実家

私の実家は貧しかったです。父の金遣いが荒いため、月給15万円の母と農業を営む祖父母が一生懸命の子供を育ててくれている状態でした。

母は忙しく主に祖父母が私達の面倒をみてくれていました。

就職

大学を卒業した私は、手に職をつけて稼げるようになろうと都会のベンチャー企業に就職をしました。

右も左もわからない私を育ててくれた恩ではありますが、残業100時間をして一人前と言われるほどの残業地獄のある会社でした。その上、基本給・ボーナスはあまり多くなく、家族のある人は残業代で生活していました。

祖母の痴呆の始まり

働き始めて3年、私が25になった時に祖母の痴呆が始まりました。同じことを何度も話すようになり、生活はなんとかできるけれども、これまでずっと続けてきた農業はほとんどできなくなりとても悲しそうでした。

私はこれからどうなるんだろうと不安になりました。田舎に住む家族の収入を知っているので、祖母が入院したり、老人ホームに入ったりすると生活が立ち行かなくなるのは明らかでした。

自分が帰って面倒を見れればとも思いましたが、地元には就職先がほとんどなく、給与も今よりも大きく下がることが目に見えていて人の面倒をみるどころではなくなることも、また明らかでした。

お金が十分にあればいざという時も祖父母を老人ホームに入れてあげれるのに。もう少し楽な生活をさせてあげられるのに。

実家には時々お金を渡していたけれど、私の渡せる額などたかが知れています。

大学を出て働いても、いざという時に家族を支えられるだけは稼げないことを思い知った私は、もっと稼げるようにならければと考え始めました。

転職の成功

最初に手を付けたのは転職です。次の職場に選んだのは大企業。大学の周りの友人を見る限り大企業に勤めている人はボーナスをたくさんもらえていて、しかも残業も多くても40時間くらいだったので、今より条件が良くなるぞ!と意気込みました。

転職後は予想通り年収にして50万円給料が増え、残業も大幅に減りました。とても嬉しかったし、実家にもまた、お金を渡すことができました。

でも、それでは十分ではありませんでした。

余命宣告された祖母、叶わない願いと挫折

そしてある日、祖母が病気になったいう知らせが入りました。余命は1年。

何度も何度も帰省して何か食べたいものはないか?何かやりたいことはないかと聞きますが、祖母の願いは、

物はいらない。

また農業がしたい。

また大きな畑で野菜の成長している姿が見たい

とのことでした。

私には実家に帰って農業をすることはできませんでした。仕事がないと生活できない。一緒に居られるだけのお金も、フリーランスになれるだけの実力もない。

私はあまり物欲がない方で、強い夢や希望もなく、なんとなく生きてきた人間でした。初めて強く願うようなことができたのに、祖母のそばにいたいと思ったのに、自分ではできなかった。

人生で一番の挫折を味わい、今のままではダメだと思わされました。

そう思っていたのに、結局何ができるでもでもなく時間だけが過ぎていった。

祖母の死と私の決意

そうして余命宣告から1年、祖母は亡くなりました。

亡くなる直前まで

ばあちゃんは大丈夫だから、無理して帰省せんでいいよ。

と言ってくれていました。

本当は仕事を辞めてでも側に居たかった。できたはずなのにできなかった。仕事がなくなるのが怖くて、生活が立ち行かなくなるのが怖くて。

人生で一番の後悔でした。

そしてそれと同時に、私もいつか死ぬのであれば好きな時に好きなところに行ける人生をおくりたいと思いました。もう後悔をしないために。

なんとなく生きていくことを卒業するために、これまで読むだけだったブログを始めました。

いつか自分の力で生きていけるようになることを夢見て。

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