私の父は問題だらけの毒親でした。部屋は汚く、借金だらけ、酒好きで暴言ばかり。思い出せるのは苦しい思い出ばかりです。
これまで口にすることを避けていましたが、親元を離れて10年少したちようやく冷静に話すことができるようになりました。
この記事が同じような境遇で悩んでいる人の糧になればと願っています。
毒親の父の借金・酒・暴言~幼少期の思い出
私の生まれは山に囲まれた田んぼの広がる田舎で、家で父、母、母方の祖父母と子どもで暮らしていました。
私の生まれた時から父と母の折り合いは悪く、母はよく父のことをゴミだと言っていました。私たち子どもがなにか悪さをするたびに
お父さんにそっくりね、人間のクズみたい
と言って顔が赤くなるほど強くたたかれたのを覚えています。
農業をしていた祖父母はいつも私たちに優しくしてくれました。叱るときもたたかずに注意をし、泣いているときも優しく慰めてくれました。
そんな優しい祖父母ですら父を腫物扱いしており、
関わると良いことがない
あいつは泥棒だ
父を見たら隠れなさい
と私たちに教えていました。
我が家のルールは父とは目を合わせない、会話をしないようにすること。
幼いころは理解できなかったのですが、成長した今は、父の異常さからこれ以上の対応ができなかったのだと理解しています。
毒親の父の借金・酒・暴言~借金だらけ
父は一見普通の人でした。複数の支店がある会社で会社員をしており、町内会でも普通に人と会話をしている。
私にとってはそれは仮の姿でしかありませんでした。
家での父に関する一番古い記憶は、父が包丁をもって振り回し、それに対して祖父母と母が金切り声をあげて叫んでいる姿です。
母や祖父母が、父が100万円を引き出して人に渡したことを知り、父を非難したところ
俺が稼いだ金なんだからなにに使おうが自由だ
貸しただけだ
と怒りだしたのです。どうやって収まったのかまでは記憶に残っていないのですが、その後お金は持ち逃げされたことは、父がお金を持ち逃げした人の文句を怒鳴り散らしていたことで知りました。
それ以外にも父が突然大金を使うことは頻繁にありました。私が知っている範囲では50万円する布団、100万円する絨毯を突然買ってきました。そして借金をして買ったんだぞと自慢する。母が怒ると、父は
買い物するのは俺の自由だ
と物にあたりながら叫んでいました。家族にはいつも強気でも、借金の電話がかかってきたときには
すみません、もう少し待ってください
と低姿勢でへこへこ謝る、そんな情けない男でした。
父はいつもお金に困っていて、家族全員の財布から勝手にお金を抜いていくので、家では財布を隠して保管するように教育されていました。
家の中はめちゃくちゃ治安が悪かった…
毒親の父の借金・酒・暴言~異常行動
父の部屋はつねに汚くて臭かったです。ゴミや物が積まれていて、足の踏み場もほとんどない。車も同じような状態で、運転席以外はゴミだらけで座るところもほとんどない状態でした。
汚れの原因は父の趣味が粗大ゴミを拾うことだったからで、時折粗大ゴミセンターに行き、汚くなった漫画や椅子、机を拾ってきては部屋に運ぶ。母が汚いからもどしてこいと言っても、地球のためだと叫び無理やり運び込んでいました。
父は家にいるほとんどの時間を自分の部屋でテレビを見て過ごしていました。そしてテレビに向かって
芸能人は馬鹿だ
音楽は馬鹿が聞くもの
頭が悪い政治家ばかりテレビに出ている
外国人は全員、日本のものを奪うクズだ
と聞くにたえないような暴言を吐きます。声が大きいので隣の部屋まで聞こえてくるので、帰ってきたら離れた部屋に行くようにしていました。
できるだけ父とは同じ部屋にいないように努力していましたが、私を無理やりにでも連れて出かけようとすることがありました。泣いても叫んでも腕を引っ張られて汚い車に乗せられる。
そして連れていかれる先はなにかしらの宗教団体の集まり。常に特定の宗教団体であればまだ理解はできるのですが、ある時はキリスト教系、ある時は仏教系、またある時は占い師のような人のいる場所やひとけのない祠のようなところ。
家にはキリスト教系の新聞と、右翼系の新聞が届く状態なのに、知り合いから新興宗教に誘われると怒り狂って叫ぶ。
行った先々では低姿勢ですごし、行った先に気に入らない人がいた場合は帰りの車で暴言を吐く。怒鳴りながら運転する父がとにかく怖かったです。
私が父と出かけることを嫌がり逃げ回るため、父は友だちが家に来たときに無理やり遊びに割って入ってくるようになりました。
家の近くの川で遊んでいると、全裸になって現れたり、ゲームをしていると、ゲーム作ったやつは馬鹿だと叫びだしたり、時には無理やり宗教施設に連れて行こうとして来たり。
田舎で狭い社会なので、すぐに噂は広まり、父のことを言われていじめられましたし一緒に遊んでくれなくなる子もいました。
学校で親の話をされるのが一番つらかった…
毒親の父の借金・酒・暴言~父の仕事
職場でも父は問題行為をおこしていたようでした。同級生の親がたまたま父の同僚で、父が1、2年おきに転勤させられていたことを教えてもらいました。
おそらく会社でも色々と問題をおこしていたのだとは思いますが、一番ひどかったのは私が高校生のとき。働いている会社の社長への暴言をテレビに向かって叫ぶのが続くときがありました。
後で聞いたのですが、このとき父は会社で問題行為をおこして田舎の研修施設に送られたらしく、半年程度、大幅な減給をされていたそうです。
この頃から農家の仕事を手伝っていた母も家計を支えるため外に働きに出るようになっていました。
毒親の父の借金・酒・暴言~酒におぼれる
父の減給事件について、どんな問題行為だったのか母ですら詳細は分かっていないようでした。この頃ころの父はいつも怒鳴り散らすばかりだったので、会話にならなかったのだと思います。
このころ私は大学受験に向けて、一日のほとんどを勉強に費やしていました。勉強部屋は父の部屋の隣で暴言が聞こえてくるので、音楽をかけ、耳栓をして聞かないようにしていました。
父とは相変わらず同じ空間にいないように、目を合わせないようにとしていましたが、すれ違うときはお酒臭かったのを覚えています。
ある日、リビングに見覚えのないケータイが置いてあるのを見つけました。直感的に父のものだと思い、興味本位でメールを見ました。
送信ボックスにはキャバクラ嬢らしき人に宛てた「会いたい」「大好き」「いつもあなたのこと考えてます」というメッセージの山があるのに受信ボックスを見ると何も受け取っていない。
水商売の人にすら返事もしてもらえていない。
なんて気持ちの悪いオッサンなんだろう。
このメールを見てから一か月後、父が突然、受験勉強をしている私のところまで来て
俺はもう幸せになって良いか?
と聞いてきました。おそらくそのキャバクラ嬢と一緒になりたいという意図だったのだと思います。勝手にすればと答えました。
どこかに行ってくれることを祈りましたが、女性には全く相手にされなかったようで、一日も家出することなくテレビに向かって文句を言う日々が続きました。
このころから父が
離婚したいなら俺に300万払え
と母に叫ぶようになったと記憶しています。
そんな環境の中私は受験を乗り越え、家から離れた大学に行くことが決まりました。実家を出発する日、父が
仕送りはできん。金がなければレストランの生ごみをあされば飯があるぞ。
と自慢げにアドバイスをしてきたのを覚えています。
毒親の父の借金・酒・暴言~離婚
私が大学に行って親元を離れてから2年後、父と母は離婚しました。きっかけは父が会社を解雇されたから。母は親類に力になってもらい、お金を払えという脅しと戦ってなんとか離婚にこぎつけたそうです。
良かった。これでやっと解放されたんだ。
そう思ったのもつかの間でした。
毒親の父の借金・酒・暴言~嫌がらせ行為
父はそれからストーカー行為を始めるようになりました。毎日のように実家に非通知で電話をかけ、月に1,2度実家を訪れてはやり直そうと叫ぶ。
警察にも相談し、何度も補導されても繰り返します。
私が帰省した時には、私に無理やり3万円を渡してきて、
これまですまなかった。せめてお金を受け取ってくれ。
と言い出し、無理にお金を置いて去ったかと思えば
1か月後に
渡し金を返せ
と叫びながら家にくる。
郵便での手紙まで届くようになり、完全に異常者と化しました。
毒親の父の借金・酒・暴言~ 現在
離婚から5年、頻度は減ったものの、相変わらずストーカー行為は続いています。
祖母はなくなり、実家にいるのは母と祖父だけ。
警察の方と相談しながらも静かに暮らしています。
1つだけよかったのは、父が作った借金は離婚した時にすべて父の負債となったため、母は今自分で稼いだお金を自由に使えているということです。
そして時がたった今、ようやく私も精神的に解放されてきました。
家族の問題は自分の問題なのだと思っていました。
家族がやったことは私の責任だと抱え込んでいました。
だから私はずっと、
父が異常者で結婚相手に迷惑をかけることになるから、私は結婚できない
私にも父の血が流れているから、子どもを産んだら父のようになってしまうかもしれないから産めない
と思っていました。自尊心も低く、次々とダメな彼氏に引っかかってしまったこともあります。
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アルコール依存症の彼氏との恋愛、別れ。アル中で暴言を吐く人に依存していた話
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でも今はこう思えます。
父と私は別の人間で、私は私の人生を生きれば良い
家族の問題はとても複雑で、私が経験したように完全解決することは非常に難しいと思います。
それでも私は、自分のことは自分のこと、相手のことは相手のことだと線を引く、少しの間でも問題から離れて過ごすことで少しずつ頭の中が整理されました。
苦しいことだらけの経験でしたがこの話が誰かのお役に立てれば幸いです。
もしかしたら自分も毒親になっているかもしれない、毒親育ちなのかもしれないと悩む方は毒親マンガを読んで状況を冷静に見つめてみましょう。
親も人間なので悪いところがあって当然ですが、毒になるほどの人はそうそういません。
私も自分の親を毒親と呼ぶことに抵抗がありましたが、体験談を読んで確信できました。